隼で散歩して帰宅すると、宿題をしている筈のマイサンは、妹のZと夢中で遊んでいた。
それはそれで、まあしょうがないのだが、マイサンはZといつまでも仲良く遊んでいられるほどお兄ちゃんではなく、ついにヨメハンに怒られまくった。
オレは実は、地元の図書館にある本が見たくて、図書館にいくタイミングを計っていた。
で、マイサンの宿題消化を兼ねて、マイサン連れて図書館に行ってきた。
マイサンが、宿題の作文を書く間、オレは前々から気になっていた本をみていた。
その本は、「土門拳」の「ヒロシマ」
色々、勉強になりました。
・・・・・・・・・・・・・・・知識として知った気になっていた歴史について、その爆撃というには酷い虐殺的なことがあった後の10~20年経過時というと、オレとかが生まれるスゲー前の実母ヲカンとかが「さー!人生、これから!」的な高度成長期だったり「戦後は終わった」みたいなときに相当する。(する?)
そんな昭和そのものの流れに乗りきれず、自分ではどうにもならない理不尽さと戦ってる(しかも現代よか差別的だったり、制度もできてなかったり、そもそも社会が未成熟だったり)姿とかってのが、映像で目に見える事で
「ああ、こりゃ辛いし大変だし、オレならメゲて終わっちゃうな」
ってのが、理解はきっとできないのだろうけど、こういうことがあったってのが分かった。
これを見るまで、わかったつもりだったのが、現実性がもてた・・・・・・・・・・・・・・けど、その実態の凄さはきっとそのときにそこにいなきゃ分からないのだろうけど。
こういう事が近代日本でありつつ、今も苦しんでいる人もいつつ、時代は(日本は)一応、平和で、・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
外国人と殺しあうこととか、一方的に焼き殺されたり、焼かれたて大変な思いをしつつ治らずくるしんだりコンプレックスもったり、後遺症に苦しんだり、遺伝的に困ったり、それらは一方的に「その時にその場にいて」てだけで・・・・・・・・とかって、目下はならなくて(なってなくて)よい今を小学生時代の平和学習以降、久々に実感し、大人になった今だから「土門拳のヒロシマ」が凄いことを実感できた。
平和って、素晴らしい!
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